外側は日本人、内側は外国人

ペン回しやなんやらかんやら

ちょっとした独り言

たまには更新とか必要よね、

 

忘れたわけじゃないけど、ただ単に面倒臭いなだけだったのね。いつも思うけど、ツイッターは本当に恐ろしいよね、いろいろだらけてしまう。

まだ数ヶ月に一回くらいこのブログを更新していた頃は、それなりのアクセス数があったわけだけど 、最後に更新した記事がなんと今年の一月七日。少し(というか半年)間を開けて、自分が書いた記事を読むとどことなく違和感を感じるんだ。自分がこんなにも情熱的に物事を文字に浮かび上がらせることができたんだな、と。オフのこととか、改造ペンのこととか、とりあえず言いたいを言ってそこで終わる記事。なんというか、一年も過ぎていないのにこの落ち着きのない文章を書いたのは本当に自分なのだろうかと疑ってしまう。よくこのブログ自体を読むような方達がいたもんだ。

それで、その記事の投稿から半年後、久しくこの古巣にログインしてみれば、アクセス数は少なからずとも伸びていたことに今驚いている。おそらく、ナランハ前のメモランダムの紹介記事の影響もあったのだろう。それでも読んでくれてる人たちがいたことにどことなく喜んでいる自分がいた。多分、また気まぐれにペン回しや他諸々についてこのブログを更新することもあると思うので、そこのところよろしくお願いしたい。

 

さて、本題に入りたいわけだが、この記事は今自分の横にある数の絶えない課題の息抜きにしか過ぎないから手短に終わらせたい。まあ、現時点でもう30分くらいかけてこの記事を書いているわけなんだが。

 

最近、地味に古きタイスピナーのCoffeeluckyが即席CVを公開した。


Hotto Dogu express CV

 

特にCVに関してはあまりコメントはない、普通の国際即席CVというだけで。ただ、少し気になった点はこの即席CVの募集期間なのだ。最近の’即席CV’は三日間から五日間、長い時は一週間ぐらい募集をTwitterにかけ、CVを製作されていることが多い。しかし、Coffeelucky氏が募集にかけた期間は半日ほどだった。短い期間について驚くツイートなど少し見かけたわけなのだが、むしろなぜその短い期間に驚いていたのかと不思議に思う。

 

元々、即席CVというのは、言葉の通りその交流の場で(Twitter,JEB chat, skypeなど)その日その時間にCVを即座に製作することである。ちなみに、英語ではExpress CVと呼ぶことが多い。限りなく少ない時間で撮影し、編集者ができる限り早く公開するものと認識していた。

 

自分はUPSBのチャットなどで即席CVを作る時もそんな感じだった。その場で知り合った証としてCV作ろうぜー、みたいな感覚で作っていたのだ。若い頃は常に憧れのスピナーと一緒のCVに出たい願望で溢れていたから、ほぼ毎日のようにチャットを見てた記憶があるなー。そのおかげで、たくさんのスピナーと仲良くなって今も関係を保っているる。たまにいっしょに見返して、「こんなやついたなー」て懐かしながらこの変な趣味を続けるんだ。人と人が常にネット上でペン回しながら交流できる時間は限りなく短い。TwitterやDiscordなどのアプリで浸っていると自覚しづらいが、スピナーとの直接的な交流の機会は意外と少ないと思う。ツイートのリプライやスレの返信などの断続的な交流は、たとえTLは常に見ていようとも、直接交流しているとは言い難いだろう。ただ単に交流の仕方が時代によって変わっているだけなのかもしれんが。短い時間でしか交流できないからこそ、せっかく趣味の合う人間と大切な思い出を作りたい。そんな思いを秘めてたからこそ、昔ながらの即席CVというもの、その概念が生まれたのだと思う。

 

端的に言うと、時代によって「即席CV」という概念が変わっていく様子がスピナー同士の交流の仕方の変化と関わりあっていると言いたい。考え方が古いとか、少しセンチメンタル過ぎると言われると反論する余地がない。なんせちょっとした独り言だから。この場合は誰が正しいとかは関係なく、ただ自分が思ってることを言いたかっただけだから、そこまで考えなくてもいいだろう。

人はそれぞれ違う考えをするとは言うが、皆は常に寄り添いたい願望はあると信じたい。そこでやはり仲を深めるには、お互い確かにそこにいたと確信できる証拠みたいなのを共有しなければならないだろう、例えば自分が自分の手で撮影した即席CV用の動画のように。誰にでも打てるテキストは、傲慢にも、個人的には自分を表すには不十分であると思う。社会人になれば趣味の時間もなくなる、そうなる前に色々と関わりあうというのは悪いことじゃないでしょう。

 

そんな思いを抱えながら、俺は課題に戻る。

 

では